電球を生んだエジソンと扇子
エジソンは電球のフィラメント(細い線から成る発光部)として木綿糸を使っていましたが、寿命は40時間ほどで、寿命は短く、電球を普及させる妨げとなっていました。 より長時間の発光が可能なフィラメント素材を求め、6000種類にも及ぶ材料を試し、その中には友人の髭までもがあったと言われています。
あるとき、たまたま見つけた扇子の親骨から竹の繊維を削り取り、フィラメントとして用いたところ200時間ものあいだ発光し続けました。エジソンはすぐ、世界中から1200種類もの竹を集めました。
1880年、エジソンの依頼を受けた探検家ウイリアム・ムーアが日本を訪れ、伊藤博文に面会し「竹なら京都へ」との助言を受けます。ムーアは京都府知事槙村正直から「竹なら男山か嵯峨野がいい」と教えられ、手に入れたのが石清水八幡宮の竹で作った扇子でした。
男山の竹から作られたフィラメントは実に2450時間の発光時間を記録し、実用に耐える電球の完成に大きく寄与しました。そして男山の竹はエジソン電灯会社へ輸出され、世界に明かりを灯すこととなりました。こうして電球には、日本の扇子で使用されていた竹が用いられたのです。
各国の扇子文化
古代エジプトで扇は、衣装の付属品などではなく権力の象徴としての貴重な品でした。七面鳥の羽毛で作られており、ファラオ(国王)と身近な親族にだけ使用が許されたものだったと言われており、召使いが主人に風を送ったり、近づく蝿を追い払うことができるように、大きな取っ手が付いていました。 紀元前1300年代半ばの王、ツタンカーメンの墓室の壁画に描かれた扇は、取っ手の部分がエジプトの聖なる花、名ナイルの薔薇とも呼ばれる蓮の花の模様で飾られているそうです。そして、「誰であれ『ファラオの傍にあって扇を持つ者』に任命されると、その人の社会的な身分が上がり、更に高い地位に昇ることが多かった」といわれています。
韓国の扇子文化で特に有名なものといえば、近代に入って作られた創作舞踊「プチェチュム」と呼ばれる扇子踊りです。「プチェチュム」は「プチェ=扇子」と「チュム=踊り」を意味した言葉で、和訳すれば扇子の踊りとなります。 日本の扇子が和紙で作られることが多いのに対し、韓国の扇子は透き通った薄い布で作られています。日本の扇子に比べると、柔らかく優しい印象を与えてくれる扇子です。 「プチェチュム」は、両手の扇子を広げる、閉じる、回すといった動きを組み合わせた複雑な踊りで、大勢で踊るときは2人ずつ組んで扇子で蝶の形を作ったり、全員で円になり花の形を作りながら回ったりもします。「プチェチュム」で重要なポイントは、基本的な手の振りや足の踏み出しで、くるくるとなめらかに回れなければ華麗な舞いをすることはできないそうです。
もともと中国で生まれた「うちわ」が日本に渡り、うちわを折り畳んで携帯に便利な道具に改良し「扇子」が生まれたといわれています。日本で生まれた扇子は、鎌倉時代に、中国へ渡りました。 中国にわたった扇子は、それまでの日本のものから変わります。日本の扇子は、片面にだけ紙が貼り付けられたものでしたが、中国で紙を両面に貼り付けるスタイルに変化しました。中国で両面貼りになった扇子は、室町時代にまた日本へ逆輸入されました。当時、中国から渡ってきた扇子は、当時の中国の呼び名から「唐扇(からせん)」と呼び、その後日本でも両面貼りの様式が使われるようになったそうです。
もちろん、中国も独自の扇子文化をつくってきました。王朝時代では官僚や文人、民国時代も文人や知識人などのステータスの小道具として扇子が用いられることが多かったそうです。当時の肖像画や絵画などをみると、扇子を手にしたモデルが多いことが分かります。 中国では「インテリ」層の小道具として発達した扇子ですが、一方でまったく違った発展もしました。それは「鉄扇(てっせん)」です。扇ぐ道具であったはずの扇子が、なぜが武器として発達していきました。 この「鉄扇」は、文字通り骨に鉄が使われており、基本的には殴打用の武器として用いられました。かつては、武器の持ち込みが禁じられた場所で護身用の暗器(隠し持つ武器)として多く用いらました。
扇子というとアジア各国の文化という感じがしますが、実はヨーロッパにも扇子文化が根づいています。特に、スペインでは現在でも扇子が生活に浸透しているといえます。
ヨーロッパに扇子が渡ったのは、日本の江戸初期の南蛮貿易においてでした。その後、ヨーロッパ各地で扇子文化が育まれましたが、時代の流れからか少しずつ衰退していった扇子文化も、スペインだけは着々と発達し続けてきました。理由ははっきりと分かりませんが、スペイン独特の暑い気候のせいとも言われています。スペインでは今でも多くのシーンで扇子が使われています。
スペインでは、扇子は扇ぐ道具以外に、インテリアや芸能の小道具、コミュニケーションの道具として使われてきました。日本とは違い、スペインでは女性だけしか使わないそうです。これはスペインでの扇子文化の歴史によるものと思われますが、100年くらい前のスペインのオリジナル扇子は、女性が男性への気持ちを伝える道具だったと言われています。当時盛んに行われていた舞踏会で、付き添いの目を盗んで気持ちを寄せる男性にこころを伝えたそうです。 扇子の使い方でそれぞれ意味があり、たとえば扇子を閉じ、その後開いて頬に当てたら、「あなたを好きです」という意味になるそうです。また、胸の前でゆっくり扇いだら「私はもう求婚者がいるから構わないで」、扇子をこめかみにあてて上をみると「昼も夜もあなたを思っています」という意味になるそうです。